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いまも昔もヒトの考えることって実はあんまり変わらない。
日本舞踊のストーリーを読み解いて、そこに登場するキャラクターたちの現代にも通じる想いを
お伝えしていきたいと思います。
もしかしたら、あなたの悩みを解決するヒントがみつかるかも…
静御前(しずかごぜん)は、源平合戦後の時代に翻弄された悲恋のヒロインです。
今回は、静御前の恋人だった源義経のお話です。
|源平合戦
源平合戦は、平安時代末期の1180年から1185年に起こった、平清盛を中心とする平氏政権に対する
内乱の総称です。当時の平家は、日宋貿易などで得られた富を独占し財力と権力で栄華を極めていました。
その勢いは「平家にあらずんば人にあらず」という発言も飛び出すほど。これは平清盛の妻の弟の発言で、
本来は「平家一門でなければ出世できない」という意味だったといいます。
まぁどっちにしても今なら大炎上です。
そして、当時もそのやりたい放題に振舞う傍若無人さへの不満が各地で反乱を招きました。
この源平合戦は、最近では「治承・寿永の乱(じしょう・じゅえいのらん)」と言われています。
それは、源氏だけど平氏に味方したり、その逆だったり、源氏にも平氏にもどちらにも属さない地方豪族や
寺社勢力も参加していたので、単純に「源氏 vs 平氏」とは言えないのではないかと議論が生じたためです。
|源義経
この治承・寿永の乱、源平合戦で目覚ましい功績を上げたのが、後に静御前の恋人となる源義経です。
|生い立ち
源義経は、後に鎌倉幕府を率いる源頼朝の年の離れた腹違いの弟です。2人の父親、源義朝(よしとも)が
1159年の平治の乱で平氏に敗れたとき、頼朝は伊豆に流罪となり、義経は京都の鞍馬寺に預けられました。
本来であれば殺害されることになっていましたが、当時絶世の美女といわれていた義経の母親が平清盛の妾
となることで、出家させるという条件で生き延びています。このとき離ればなれだった義経と頼朝に面識は
なかったと思われます。
義経は15歳まで学問に励みますが、その出自を知ると、父母の無念を晴らそうと打倒平家を胸に仏門ではなく
武道に励み、16歳で鞍馬寺を出て奥州平泉(現在の岩手県西磐井郡平泉町)へ向かうと藤原秀衡(ひでひら)
の庇護のもと武術を磨き、猛者となっていきます。
そして、1180年ついに以仁王(もちひとおう)が平家追討を発令し頼朝が挙兵すると、義経はすぐに出陣し、
頼朝と感動の対面を果たします。長い間離ればなれになっていた兄弟はともに涙を流して喜んだと伝えられて
います。そしていよいよ宿敵の平家滅亡へ向けて動き出します。ときに義経は22歳、頼朝が34歳でした。
|武勇伝
源義経の家臣として知られている武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい)は、「義経記」によると、母親の胎内に
18ヶ月もいて、生まれたときには髪の毛は肩まで伸び、前歯も奥歯も生え揃っていたいわれています。
叔母に引き取られ、後に比叡山に入れられますが、乱暴が過ぎて追い出され、自ら武蔵坊弁慶を名乗って、
各地で蛮行を繰り返します。太刀を1000本奪うという願掛けをして、夜な夜な市中を徘徊し、あと最後の1本と
いうところで巡り合ったのが、当時、幼名の牛若丸を名乗っていた義経です。燕のような早業で京都五条大橋の
欄干に飛び移り、長い薙刀を振り回す弁慶を翻弄させて、その場でひざまずかせました。その後、武蔵は義経が
鎌倉を追放されても最期まで忠誠を誓いともに戦いました。
また、1185年の壇ノ浦の戦いでは、源氏の猛政に平家の敗色ムードなか、平家最強の平教経(のりつね)が
「狙うは源義経ただ一人」と義経を道ずれに入水しようと船に飛び移ってきたといいます。迫りくる教経に
義経も船から船へと飛び移り逃げ切ります。合戦中の装いなので鎧兜など30kg以上は身に付けていたので、
多少誇張されているとは思われますが、「八艘飛び(はっそうとび)」と名付けられ、義経の身体能力の高さを
象徴するエピソードとして伝えられています。
ボストン美術館所蔵 月岡芳年作 「八島檀ノ浦合戦義経八艘飛之図」
https://collections.mfa.org/objects/462245
|戦略家
源義経は兵法の極意が書かれた中国の兵法書を読破していて、天才的な戦術家として数多くの奇想天外な戦術が
残っています。
1184年の一ノ谷の戦いでは、ヒヨドリしか降りられないような絶壁を騎馬で駆け下り、平家軍の背後から急襲
を仕掛け「鵯越の逆落とし」(ひよどりごえのさかおとし)といわれる奇襲攻撃で、平家軍を大混乱に陥れ、
同時に平家陣営に火をかけ敗走させ、わずかの騎兵で大勝利を収めます。
また、1185年の屋島の戦いでは、通常は約3日かかるといわれていた、摂津渡辺(現在の大阪府中央区付近)
から阿波国(現在の徳島県)までを暴風雨のなか数時間で移動。海上からの攻撃を想定していた平家陣営に、
浅瀬になる干潮時を狙って一気に背後から攻撃しました。その際、民家に火を放って大軍の襲来と見せかけて
平家軍を攪乱し、ここでも少人数での勝利を収めています。
文化遺産オンラインより 歌川広重作 「義經一代記之内・義経智略一の谷鵯越逆落し」
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/461804
|最後に
いかがでしたか。
NHKの「紅白歌合戦」や運動会などの赤組と白組に分かれて行う「紅白戦」は源平の戦いに由来すると
いわれています。源氏と平氏の戦いで、源氏が白旗を、平氏が赤旗を使っていたのがきっかけだったとか。
6年にもわたる長い戦いが無意識のうちに日常に溶け込んでいったのでしょうか。
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