帯のお話

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あたりまえのことだけど、着物だって服だから…
いつの間にかハードル上がってめんどくさい感じになってしまったのはなんでなんだろう。
着物をもっと身近に感じる小物たちのお話です。
なにを着ようか悩んだとき、着物が選択肢のひとつになりますように…

|帯の歴史

帯は衣類よりも歴史が古いといわれています。どのように変化して今のような形になったのでしょうか。

|~江戸時代

帯は、原始時代、狩猟で使う道具を挿すために細長いものを身体に巻いて結んでいたのが始まりだったと
いいます。
また、衣類を結ぶことによって、隙間から悪霊や病気が入り込まないように封じたり、自身の
正気が抜けないように押さえるといった呪術的な意味合いがあったともいわれています。

奈良時代になってくると、唐(中国)などの大陸文化の影響を受け、帯は装飾の意味を持ち始めます。
また、男性はにとっては武具を吊る実用的な目的に加えて、地位を誇示する目的もあったようです。
平安時代は、男女ともに上下二部式の衣服だったので帯は装飾的な意味合いのものでした。当時、女性は
小袖と袴といった装いでしたが、室町時代後半から安土・桃山時代になってくると小袖のみの
軽装に変化し、
帯の存在感が増していきます。当時の帯は、組紐状のもので両端に房をつけたものを腰に巻き付けて
結ぶもの
でした。中国から肥前名護屋(現在の佐賀県)にその技術が伝えられたので「名護屋帯」と呼ばれています。

そして、その後徐々に帯の幅が広くなっていきました。

|江戸時代~

江戸時代になって、現在の帯の形状にほぼ近くなったのは寛文期(1661~73)4代将軍徳川家綱の頃といわれて
います。
その前までは、帯幅は狭く、端を巻きつけて帯の間に挟み込む「突込帯(つっこみおび)」と呼ばれる
結び方でした。
延宝期(1673~80)5代将軍徳川綱吉の頃、人気歌舞伎役者の上村吉弥が幅の広い帯の両端に
鉛を入れ、
だらりと垂れるような「吉弥結び」で舞台に出演し、大評判となりました。これがきっかけとなって
幅が広く長い帯が用いられるように
なったといわれています。その後の元禄期(1688~1704)には、帯幅は
さらに広がり、長さも伸びて現在
と変わらない形状になりました。そして、享保期(1716~35)以降には、
このサイズが帯の基準となりました。
この時代は、帯の端から端まで全面に柄のある全通柄(ぜんつうがら)
だったため結び方に制限がなく、様々な結び方が誕生しました。

東京国立博物館所蔵 菱川師宣作 「見返り美人図」
https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-60?locale=ja

|前帯と後ろ帯

もともと帯の発祥は、衣服がはだけるのを防ぐための細い紐帯だったため前結びが一般的でしたが、のちに
帯幅が広がるにつれて
後ろでも結ぶようになりました。ただ、結び目は、前、後ろ、横など様々で一定して
いませんでした。元禄期(1688-1704)になると、
未婚者が後ろ帯、既婚者が前帯と結婚しているかどうかを
区別をするようになりました。ところが、文化・文政期(1804~30)11代将軍徳川家斉の
頃になると、
家事仕事などに不便なため、30歳前までは普段の日や仕事中は前帯に結ばない習慣が生まれ、江戸時代末期に
なると既婚者でも
前帯には結ばないようになっていきました。前帯にする習慣は現在でも地域によっては残って
います。
ちなみに、花魁は前帯でした。これは、衣裳や髪飾りを豪華に見せることは自身の「格」を表すことに
なるので、帯を敢えて前で結び、柄や刺繍が1番美しく見える結び目の部分を顔と同じ正面に配置し
最も美しい
自分を見せるためだったというのが有力な理由とされています。

東京都立図書館所蔵 渓斉英泉作 「新吉原夜桜」
https://ja.ukiyo-e.org/image/metro/0793-C080

|帯の種類

帯は、技法や形状によって分けることができます。

|織と染

一般的に「着物は織のものより染のものが格が上、帯は染のものより織のものが格が上」といわれています。
「織」の帯は白糸を染めた色糸を表に出したり隠したりして文様を織り方で表現したものです。代表的なものに
錦織、唐織があり、礼装用に使われます。他にも博多織、綴織、紬地の帯などがありますが、金銀糸を施した
綴織は
礼装向きですが、それ以外はカジュアル向きです。
「染」の帯は白い生地に図柄を染めたもので柔らかく優しい雰囲気になります。染色技法には、手描き染め
型染め
、絞り染め、更紗染め、ろうけつ染めなどがあります。金銀の採色や格調高い文様を施したものは準礼装
にも使えます。

|形

帯の形は、大きく分けて、格の高いものから丸帯、袋帯、名古屋帯、半幅帯の4種類があります。
丸帯は、江戸時代中期頃考案され、正装用として使われていました。広幅の帯地を2つに丸く折って仕立て
られる
ので丸帯と呼ばれます。
表も裏も同じ柄になるため、見た目が華やかになりますが、重さは袋帯の2倍、
分厚さも2倍になります。
また、デザインも豪華で、金糸銀糸を用いた華美な仕上がりになっています。高級な
ため今では婚礼衣装や舞妓さんの帯として使われることがほとんどです。
袋帯は、丸帯に次いで格の高い帯です。無地の裏地と表地を袋状に縫い合わせて仕立てるので袋帯と呼ばれて
います。このように無地の裏地を使うことによって軽量化、低価格化を実現し、動きやすく、締めやすい、
そして買い求めやすいと丸帯に変わって礼装用の帯と
なっていきました。基本的に袋帯は礼装用ですが、模様や
柄によってはカジュアルにつかうこともできます。また、袋帯の柄のつけ方には、全通柄、六割柄、お太鼓柄が
あり、表地と裏地の合わせ方によって、本袋、縫い袋、片縫い袋に分けられます。
名古屋帯は、結ぶのが面倒な袋帯をより簡単に結ぶことができるように改良された帯です。諸説ありますが、
大正時代に
名古屋女学校(現在の名古屋女子大)を創設した越原晴子さんが「女性の社会進出のために活動的
な帯を」と袋帯の二重太鼓を簡略して一重で結べるようにと考案したのが名前の由来だといわれています。
仕立てる前の帯の幅によって九寸名古屋帯と八寸名古屋帯に分けられます。
また、縫製も半分に折った半幅の部分がどの位あるかによって名古屋仕立て、松葉仕立て、開き仕立てに分かれ
ます。名古屋帯は簡単に結ぶことができるいっても略式ということではなく、金糸銀糸を施したものは
準礼装用
に使われます。ただ、帯の長さとして一重太鼓にちょうどよいため基本的に普段使いに向いているもの
が多いです。
半幅帯は、帯幅が半分ということから名付けられた帯で、最もカジュアルな帯です。リバーシブルが多く、
全通柄が一般的なため、2通りの色柄を楽しめたり、帯の上下も自由に決められます。そして何より、帯締め、
帯揚げ、帯枕などの小物も不要で簡単に帯結びを楽しむことができますが、礼装用には向きません。半幅帯は、
1枚の生地で作られた単帯(ひとえおび)と2枚の生地を縫い合わせた小袋帯(こぶくろおび)があります。

国立国会図書館所蔵 肖像画「樋口一葉」
https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/315

|最後に

いかがでしたか。帯は着物より歴史が古く、実用性や装飾性を兼ねながら時代に合わせて変化してきました。
伝統を守りながら
変化させてきたヒトの素晴らしさを感じずにはいられません。
明治時代を短く駆け抜けた樋口一葉の紙幣に描かれた肖像画をじっくり見ると、大きな柄の色半襟をつかい、
ゆったりめの襟に着付けています。肩肘張らずに着物をファッションとして楽しんでいる印象です。
私たちももっと自由な発想で着物に接してもいいのかもしれません。
何より悲しいのはそうやって進化してきた着物の文化がなくなってしまうことですから…
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