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いまも昔もヒトの考えることって実はあんまり変わらない。
日本舞踊のストーリーを読み解いて、そこに登場するキャラクターたちの現代にも通じる想いをお伝え
していきたいと思います。
もしかしたら、あなたの悩みを解決するヒントがみつかるかも…
パワースポットとして有名な箱根神社には、曽我兄弟が仇討ちに使用した太刀「微塵丸」と「薄緑丸」が
奉納されています。今回は、江戸時代大人気のエンタメ作品を数々生み出してきた、曽我兄弟の仇討ちの
ついてのお話です。
|曽我物語
曽我物語は、父親の仇を討ちながらも、悲運な死を遂げた十郎祐成(すけなり)と五郎時致(ときむね)の
曽我兄弟の霊魂を鎮めるため巫女たちが語り広めたものが歳月を経てまとめられたものとされています。
|成立
曽我物語は、作者も成立年もわかっていません。鎌倉時代中期から後期にかけて、地理的、歴史的な実情を
記した「真名本」(漢字で書かれたもの)が曽我兄弟にゆかりのある神奈川県西部から静岡県東部で語り物と
して継承されました。その後、南北朝時代から室町時代にかけて、京都に伝わると史実性が薄れドラマチックな
「仮名本」(平仮名で書かれたもの)になったといわれています。現存する写本や版本も数多く残っていて、
ストーリーは伝本ごとに変化にとんでいます。
|曽我兄弟の仇討ち
物語の大筋はこんな感じです。曽我兄弟は、兄、一萬が5歳、弟、筥王が3歳のとき、所領をめぐる争いから
実父、河津三郎祐泰が同族の工藤祐経に討たれるという不幸に遭遇しました。兄弟の母は、子供たちの身辺に
危機が及ばないように再婚し、兄、一萬は元服して名を十郎祐成と改め、母親の再婚先の家督を継ぎました。
弟、筥王は実父の菩提を弔うべく箱根権現の別当、行實僧正(ぎょうじつ)のもとに預けられました。
1187年正月、工藤祐経は、源頼朝の箱根権現参拝に随参します。仇の工藤祐経を目の当たりにした筥王は、
復讐の念に駆られますが、隙をうかがうことすらできず、反対に赤木柄の短刀を与えられ諭されてしまいます。
しかし、筥王はあきらめきれず、17歳になると無断で箱根山を下りて元服し、名を五郎時致と改め、
兄の十郎祐成とともに仇討ちの決意を新たにします。1193年5月、仇討ちが果たせるよう箱根権現に参拝した
兄弟は、別当、行實僧正からそれぞれ宝刀「微塵丸」と「薄緑丸」を授けられました。源頼朝に従って富士の
大巻狩に参加していた工藤祐経は、5月28日夜半、奇しくも以前与えた赤木柄の短刀で止めを刺されました。
その最中、兄、十郎祐成は斬られ、弟、五郎時致は捕らえられました。捕縛された五郎時致は頼朝の尋問で
仇討ちまでの苦しい心情を堂々と述べ、その孝心を惜しまれたものの、祐経の子、犬房丸に身柄を渡されて
斬首されました。このとき、十郎祐成は22歳、五郎時致は20歳でした。
|巡り合わせ
曽我兄弟と工藤祐経、また仇討ちに使われた「微塵丸」と「薄緑丸」には、不思議な運命の巡り合わせが
あったようです。
|黒幕!?
この仇となった工藤祐経は一見悪者のように思われますが、実は源頼朝の信頼されている寵臣でした。
楽器のも精通していて、鎌倉の鶴岡八幡宮で静御前が舞った際、鼓をうったのも祐経だといわれています。
曽我兄弟の祖父、伊東祐親と祐経は所領をめぐって対立していました。そしてとうとう兄弟の祖父、祐親は
祐経の留守中に領土を奪い、嫁いでいた自身の娘も無理矢理連れ出して離縁させてしまったのです。
腹に据えかねた祐経は、祐親を暗殺するよう命じますが、仕損じて兄弟の父、河津三郎祐泰を殺害してしまい、
これが悲劇の始まりとなりました。ちなみに、この兄弟の祖父、祐親は、源頼朝が伊豆で流人として源氏再興を
志した頃、実娘と頼朝の仲を裂き、2人の間に生まれた男児を殺害、さらに頼朝を暗殺しようとしたこともある
人物です。曽我兄弟の仇討ちは、仇の工藤祐経も、討ち手の兄弟も真面目に誠実に生きていただけなのに、
ただ運命に翻弄されただけなような気がします。
|「微塵丸」と「薄緑丸」
箱根神社に奉納されている、太刀「微塵丸」と「薄緑丸」は曽我兄弟の仇討ちに使用されたといわれています。
もともとは「微塵丸」は木曾義仲が、「薄緑丸」は源義経が奉納したものでした。源頼朝との仲が急に悪化した
木曾義仲は嫡男を頼朝に差し出すことで和睦しました。このとき木曾義仲は箱根権現を参拝し、息子の無事を
祈願して太刀「微塵丸」を奉納したといいます。
また、壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼした源義経は鎌倉へ向かいますが、鎌倉へは入れてもらえませんでした。
仕方なく京都に戻る途中、義経は箱根権現を参拝し、頼朝との兄弟仲が修復されることを祈願して「薄緑丸」を
奉納したといいます。
そして、その数年後、箱根権現の別当、行實僧正より曽我兄弟の手に渡った「微塵丸」と「薄緑丸」は
仇討ちの後、源頼朝によって再び箱根神社に奉納されました。
演劇博物館デジタル 歌川豊国作 「木曽義仲 市川団十郎」
https://ja.ukiyo-e.org/image/waseda/101-6515
演劇博物館デジタル 歌川広貞作 「源義経」
https://ja.ukiyo-e.org/image/waseda/201-5191
|最後に
いかがでしたか。木曾義仲が長男の無事を祈願して奉納した「微塵丸」と源義経が兄の頼朝と仲直りすることを
祈願して奉納した「薄緑丸」の両刀が時を経て、「微塵丸」が長男の十郎祐成、「薄緑丸」が次男の五郎時致の
手に渡ったのには因縁めいたものを感じます。また、奉納されたときの祈願は残念ながら叶うことはありません
でしたが、次の持ち主となった曽我兄弟の祈願は成就し、その両刀を最初の祈願の障害となっていた源頼朝が
もう一度奉納する、というのもなにか運命的なものを感じてしまいます。
次回は、江戸時代のお正月についてお話しようと思います。
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