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いまも昔もヒトの考えることって実はあんまり変わらない。
日本舞踊のストーリーを読み解いて、そこに登場するキャラクターたちの現代にも通じる想いを
お伝えしていきたいと思います。
もしかしたら、あなたの悩みを解決するヒントがみつかるかも…
今回は、粋なファッションと身のこなし、男気があって喧嘩も強い、江戸庶民にとって理想のかっこいい男、
花川戸助六(はなかわど すけろく)が登場する「助六由縁江戸櫻(すけろく ゆかりの えどざくら)」
のお話です。
|成立
江戸の町には、1日に千両(現在の約1億3,000万円)のお金が動く場所が3か所ありました。朝の魚河岸、
昼の芝居町、そして夜の吉原遊郭です。
そのひとつ、吉原遊郭に実在した大見世「三浦屋」の店先を舞台にした一幕劇が「助六由縁江戸櫻」です。
一幕といっても上演時間は2~3時間もあるのですが、個性豊かな登場人物が次々と現れ、あっという間の
一幕、まさにスーパーエンターテインメント作品です。
|助六由縁江戸櫻(すけろく ゆかりの えどざくら)
助六は、1713年4月、江戸山村座で興行された「花館愛護桜(はなやかた あいごのさくら)」のなかで
初めて江戸狂言に登場します。演じたのは、二代目市川團十郎です。ただ、このときの助六は、京都の花街、
島原の遊女だった揚巻(あげまき)と心中した豪商万屋の息子、万屋助六が素材となっていました。
その後、1716年に再演される際に「曽我物語」と結びつき、助六の正体は曽我兄弟の弟、曽我五郎時致
(そがのごろう ときむね)という役柄に設定されます。こうした変遷を経て、現在に近い内容と演出が
確立され、七代目市川團十郎によって「助六由縁江戸櫻」は「歌舞伎十八番」のひとつに選定されました。
江戸時代、市川團十郎が助六を演じる際には、贔屓筋の吉原と蔵前、魚河岸へ挨拶に行き、それぞれから
芝居で使う小道具の傘や下駄、提灯、鉢巻、煙管などが贈られる慣例があり、3つの経済の中心地が
一体となって江戸の文化を盛り上げていました。その慣例は現在も続いていて、「助六由縁江戸櫻」が
上演される際には、魚河岸から鉢巻の目録が贈られるそうです。
また、この外題(タイトル)は、助六の役柄を市川團十郎、市川海老蔵が演じる場合だけに限られていて、
例えば、尾上菊五郎家の音羽屋が演じる場合は「助六曲輪菊(すけろく くるわの ももよぐさ)」、
松本幸四郎家の高麗屋が演じる場合は「助六曲輪江戸櫻(すけろく くるわの えどざくら)」などとなって
います。この独特の慣習には、助六が登場する「出端(では)」の曲名が関係しています。
|河東節(かとうぶし)
「助六由縁江戸櫻」では、助六が花道から登場する出端(では)の曲を演奏するのは河東節というのが
慣習になっています。二代目市川團十郎が助六の出端を河東節の「所縁江戸櫻」で上演して以降、
代々の市川團十郎がこれを使うようになり、七代目市川團十郎の頃には成田屋の専売特許のような扱いを
受けるまでになっていました。このため他家が「助六」を上演するときは遠慮して、この出端の唄を清元節や
長唄などに書き替えたもので行うようになり、その曲名に準じて、演目の外題も変わるという、独特の慣習が
生まれました。
河東節は、1717年に初代十寸見河東(ますみ かとう)が創始した、江戸節と呼ばれた江戸を代表する古曲の
ひとつです。享保年間(1716-1736年)に評判となった浄瑠璃で、三味線は細棹(ほそざお)で、軽快な弾き方で
独特の掛け声を発し、撥(ばち)を使わず左手指で弦をはじくハジキも多く用いられます。豪快で粋な語り口も
特徴です。
河東節を専業で行う者は今も昔もとても少ないので、興行の際には、かつてはご贔屓の旦那衆が、今日では
「十寸見会(ますみ かい)」という愛好会に所属する素人の語り手たちが、交代でこれを務めることになって
います。河東節は、初期には庶民から人気の浄瑠璃でしたが、しだいに豊後節や常磐津節に人気を奪われ、
江戸中期以降は歌舞伎の伴奏音楽という地位も奪われ、主にお座敷での素浄瑠璃として富裕層に愛好される
ようになりました。現在、歌舞伎で河東節を使うのは「助六由縁江戸櫻」のただ一作となっています。
初代河東は決して出語りはせず御簾内で語り、姿をさらすことを嫌っていて、その伝統は今日の舞台にも
受け継がれています。元祖河東の墓碑には、「志が高く金儲けを嫌い、酒と遊芸に遊んで豪家を破産させた」
と書かれています。また、八世河東の補佐役だった隠居の魯生は、「我々は金を貰って芝居に出るのではなく、
金を遣って芝居に出るのだ。」と語ったといいます。
江戸東京博物館所蔵 歌川豊国作「助六所縁江戸桜」
https://museumcollection.tokyo/works/6239546/
|あらすじ
花川戸助六、実は曽我兄弟の弟、曽我五郎時致は、吉原三浦屋の花魁、揚巻の間夫(まぶ:恋人)です。
その揚巻に夢中になっているのが、吉原で豪遊する髭の意休(ひげのいきゅう)で、必死に口説こうと
しますが、揚巻は全くなびきません。
助六は、所在が不明になっている源氏の重宝、友切丸の行方を探るため、毎晩たくさんの人が出入りをする
吉原へ通って、わざと喧嘩をふっかけては刀を抜かせています。
男気溢れる助六は、髭の意休の子分、くわんぺら門兵衛がうどん屋福山のかつぎ(出前持ち)にぶつかり、
横柄な態度で絡んでいるのを見つけると福山のかつぎを助けます。
また、曽我兄弟の兄、曽我十郎祐成(そがのじゅうろう すけなり)は白酒売りの姿で吉原へやってきて、
親の敵をつけねらう身でありながら廓で喧嘩ばかりしている助六に意見しますが、全ては紛失した友切丸を
探すためと知り、一緒に喧嘩をすることにします。そこへ三浦屋から揚巻とお客が出てきて、助六が編笠姿の
侍客の胸ぐらをつかむと、なんと兄弟の母親、満江でした。満江は、喧嘩を売る兄弟の姿を嘆きますが、
友切丸を探すためと聞いて安心します。それでも、助六の身を案じる満江は怪我や過ちがないようにと、
破れやすい紙の着物を助六に渡し、十郎と帰っていきます。
揚巻に執心している髭の意休の正体は、敵の伊賀平内左衛門(いが へいないざえもん)でした。かねてから
助六の正体を見破っていた髭の意休は助六を扇で打ち説教をしますが、紙衣を渡して心配してくれた母親の
想いを大事に思う助六は耐えて、やがて意休が友切丸を持つことを知ります。ひとしきり説教をして三浦屋に
消えていく髭の意休を助六は追おうとしますが、揚巻に止められ、出てくるところを待ち受けるように言われ
ます。友切丸は必ず貰い受けるぞと意気込みながら花道を引っ込む助六を揚巻が舞台から見送ります。
と、現在は大抵ここで幕となります。このあと三浦屋から出てきた髭の意休を待ち伏せしていた助六が斬り、
追手から隠れるために天水桶(てんすいおけ)の中に入る、通称「水入り」と呼ばれる場面がありますが、
現在ではほとんど上演されていません。
国立国会図書館デジタルコレクションより 一陽斎豊国作「あけまき・すけろく(見立三十六句撰)」
https://dl.ndl.go.jp/pid/1309055
|最後に
いかがでしたか。あらすじはとてもシンプルでわかりやすい内容です。ただそんなストーリーより何より、
とにかく助六がカッコイイ。江戸の人たちが夢中になるのも納得の男伊達です。そして、どんな相手に
対しても言いたいことをはっきりいう、助六の恋人、揚巻も魅力的。江戸の粋が凝縮されたような一幕です。
次回は、いかに助六がカッコイイか深堀りしようと思います。
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