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いまから400超年前、みる者すべてを魅了した出雲阿国の「かぶき踊り」。
それが歌舞伎となり、さらにそこから生まれた日本舞踊。
みたことある方にも、みたことない方にも、少しでも面白さが伝わりますように…
ネタバレありのシンプル解説です。
今回は、長唄/常磐津「屋敷娘(やしきむすめ)」です。
|成り立ち
文化文政期(1804~1829年)に大流行した変化物は、天保期(1830~1843年)になると、下火になって
いきます。これには、1人で十二変化をこなした名人、三代目中村歌右衛門と三代目坂東三津五郎の2人を凌ぐ
役者が現れなかったことが要因のひとつと考えられています。とはいえ、やはり華やかな変化物には観る者を
惹きつけるものがあり、これまでの1人が早替わりしてみせるものから、数人で演じるものへと形態を変えて
上演されるようになりました。変化物は、もともと女形が火付け役となって始まっているので、娘のさまざまな
姿が題材に取り上げられてきましたが、なぜか武家娘の役柄はあまり登場していませんでした。
そして、武家娘の「屋敷娘」は、1839年に江戸河原崎座で初演された澤村訥升(さわむら とっしょう)四季の
所作事の四変化*「四季詠い歳(しきのながめ まるにいのとし)」のうち秋の部に登場します。この年が干支で
己亥(つちのとい)の年だったことと、主演の澤村訥升の定紋の「丸にいの字」に掛けた題名になっています。
春の「大内の花宴」で在原行平、夏の「夕立の猪牙(ちょき)」で船頭となり、秋の「乱菊の胡蝶」で屋敷娘を
踊り、冬の「石橋(しゃっきょう)の雪景」で五代目市川海老蔵(元の七代目市川團十郎)と「二人石橋」を
踊りました。春は長唄、夏は常磐津、冬が長唄で、秋は長唄と常磐津の掛け合いという演出でした。そのため、
変化物から独立した「屋敷娘」は長唄と常磐津のどちらも残っています。
実は、「屋敷娘」は初演時には「白拍子(しらびょうし:歌舞をする女性)」となっていました。演目を描いた
錦絵にも役名はなく、びらり帽子に振袖の娘は道成寺の白拍子を思わせます。この当時、河原崎座の作詞を担当
していた三世並木五瓶(さんせい なみき ごへい)は「白拍子」を予定していましたが、助っ人として出勤した
先輩の三升屋二三治(みますや にそうじ)に作詞家が変わり「屋敷娘」に変更したため、役者番付には当初の
予定だった「白拍子」が残っています。ちなみに、この三升屋二三治は、清元の「落人」「神田祭」、長唄の
「五郎」「鳥羽絵」など現代でも人気の作詞をしていますが、相当な道楽息子だったといわれています。
浅草瓦町の札差(ふださし:金融業)を営む裕福な家庭の息子でしたが、七代目市川團十郎の世話で狂言作者に
なり、その披露パーティを料亭で盛大にやって勘当になってしまった、という逸話が残っています。
ボストン美術館所蔵 河原崎座辻番付*「四季詠い歳」
https://collections.mfa.org/objects/225302
*「い」は〇の中に「い」
|あらすじ
屋敷娘とは大名屋敷に奉公する女性のことです。武家の娘だけではなく、裕福な町人の娘も行儀見習いのために
大名屋敷に奉公しました。しっかりと行儀作法を身につければ良縁が得られるとされていたからです。
奉公するためには、長唄、常磐津、踊りなどの芸事を身につけていることが必須条件だったため、小さい頃から
お師匠さんのもとへ通ってお稽古に励んでいました。
当時、奉公先の屋敷からは自由に外出できなかったため、年に数回のお宿下がり(おやどさがり:お休み)に
実家へ帰ったり、お芝居を観に行くことは彼女たちにとって何よりの楽しみでした。
待ちに待ったお宿下がり、浮き立つ気持ちを抑えきれずに、足取りも軽く登場した娘は花咲く野辺を歩きながら
自身を花に例えて恋への憧れを表現します。そして、春のお花見の際に一目惚れした人のことを思い浮かべて、
鞠をついたり、蝶と戯れたり、道草を楽しんでいるうちに帰る時間が迫ってくるというお話で、恋心を明るく
表現した演目です。
お屋敷勤めのトレードマークだった御殿結(やのじむすび:立矢結びともいいます)の帯は、屋外では左肩から
右斜め下に結びます。諸説ありますが、護身用に左に懐剣(かいけん)をさしていて、いざという時に帯結びが
邪魔にならないようにするためだったといわれています。それとは逆に、屋敷内では右肩から左斜め下に結んで
戦意はありませんという意思表示をしていたといわれています。
演劇博物館デジタルより 歌川豊国作 「五節句之内 三月 二枚続」「屋敷娘 岩井半四郎所作事相勤申候」
https://ja.ukiyo-e.org/image/waseda/101-6881
|作品
「四季詠い歳(しきのながめ まるにいのとし)」*「い」は〇の中に「い」
作詞:三世並木五瓶・三升屋二三治
作曲:杵屋三五郎(長唄)・四世岸沢式佐(常磐津)
初演:天保10年(1839年)3月 江戸河原崎座
|最後に
いかがでしたか。恋愛応援ソングのような「屋敷娘」は、現代にも通じるとてもわかりやすいお話です。
日本舞踊の演目としてもお屋敷勤めの娘のもつ品のある華やかさがあり、とても人気があります。
経験に関係なく、踊り手の個性によって味がかわる日本舞踊。
同じ踊り手でも年齢や人生経験で味が変わってきます。
あなたの今を表現してみませんか。
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