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物語に登場する人物の着物姿ってみんな魅力的。
特に明治、大正から昭和初期の文学作品は描写がとても繊細で、
着物も帯も小物も…そのひとつひとつにこだわりを感じます。
時代や背景は変わっても着物の着こなしの参考になること間違いなし!
作品を通して着物への想いが深まりますように……
今回は、樋口一葉作「たけくらべ」の主人公、美登利のコーデです。
|美登利
仕立物もしていたという樋口一葉は、その作品に登場する人物の着物姿にもこだわりがあったといいます。
「たけくらべ」に登場する人物の着物姿も仕事、性格、生活によって様々に描き分けられています。
主人公の美登利に注目してみましょう。
鏑木清方記念美術館所蔵 鏑木清方作 紙本墨画・軸「たけくらべの美登利」
http://www.kamakura-arts.or.jp/kaburaki/collection/midori.html
|外見
美登利は、色白で鼻筋が通っていて、口は小さくはないけれど形がよくて、ひとつひとつのパーツは完璧とは
いえないけれど、澄んで通った声に、とても愛嬌のある目で生き生きとした身のこなしをしています。
長い髪は、根元からきっちり結って、前髪を大きくとり、髷に赭熊(しゃぐま)をつけて大きく見せています。
赭熊は、もともとは赤く染めたヤクの尻尾の毛のことで、幕末に偽官軍とされた赤報隊の相楽総三たちが使って
いたカツラを意味していましたが、そこから派生して縮れ毛で作ったかもじを意味するようになりました。
赭熊を使った髪型は、もともとは遊女の髪型でしたが、その後良家の令嬢にまで流行しました。
鏑木清方記念美術館所蔵 鏑木清方作 紙本着色・台紙「たけくらべ」
http://www.kamakura-arts.or.jp/kaburaki/collection/takekurabe.html
|柿色に蝶鳥
柿色に蝶鳥を染めたる大形の浴衣きて、黒襦子と染分絞りの昼夜帯(ちゅうやおび)胸だかに、
足にはぬり木履(ぽくり)こゝらあたりにも多くは見かけぬ高きをはきて、朝湯の帰りに首筋白々と
手拭さげたる立姿…
「たけくらべ」より
これは、美登利が朝湯から帰るときの装いです。
この当時、浴衣と言えば、白地に紺または紺地に白の模様が主流でした。柿色で蝶や鳥の大きな模様を染めた
浴衣はとても華やかに映えたと思われます。「たけくらべ」が掲載された「文藝倶楽部」の挿絵では、肩上げが
あって袖丈も70cm弱と、さらに華やかに描かれています。帯は昼夜帯で、下町娘なら誰もが持っている人気の
帯です。リバーシブルの帯で、表は桃色と赤または水色と赤、裏は黒繻子が手綱風に染められています。
お太鼓のタレの部分にあえて裏の黒繻子を出して粋に締めることもありました。この当時は帯に夏と冬の区別が
なかったため、浴衣でも真冬でも締められる帯を胸高に締めています。少し違和感もありますが、艶やかな色や
柄に圧倒的に惹きつけられます。また、塗りの木履はとても高価なもので、中流階級以上の娘でないと身に着け
られないものでした。首筋にだけ白粉を塗るのは吉原風で、美登利がいずれ姉のように遊女になることを暗示
しています。
そして、この美登利の朝湯帰りの様子を見ていた遊郭帰りの若者が「(どんな美しい遊女になるのか)3年後の
姿をみてみたい」と言ったと描写されています。
|最後に
いかがでしたか。江戸時代の頃から、遊女たちは流行の発信源でした。彼女たちのファッションは注目され、
町娘から令嬢までがこぞって真似をしたといいます。遊女の姉をもち廓で育った美登利もファッションリーダー
のような存在だったのかもしれません。
次回も美登利のコーデをご紹介したいと思います。
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