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いまも昔もヒトの考えることって実はあんまり変わらない。
日本舞踊のストーリーを読み解いて、そこに登場するキャラクターたちの
現代にも通じる想いをお伝えしていきたいと思います。
もしかしたら、あなたの悩みを解決するヒントがみつかるかも…
今回は、武士たちの夏の過ごし方のお話です。
|夏の過ごし方~武士編
幕府や藩に仕える武士(武家)たちは、比較的気ままに夏を楽しんでいた庶民とは違い、
常に「武家の体面」を守ることが求められ、面目と決まり事に縛られていました。
|夏の敵
武士たちにとって、夏の最大の敵は「衣服」でした。
武家社会では、衣替えは年4回とされていて、夏には裏地のない薄手の単衣(ひとえ)や
帷子(かたびら)を着用していました。
しかし、公式の場や江戸城へ登城する際は、麻の裃(かみしも)を着用することが慣例と
なっていました。さらに、江戸城内では扇子を使って煽ぐことは無作法とされていたため、
武士たちは常に涼しい顔を装って暑さを耐え忍んでいたといいます。
|夏の生活リズム
江戸時代の武士は、お城に行く日(登城日)と自宅や詰所で待機する日を組み合わせた
独特の働き方をしていました。勤務形態は大きく分けて、警備を担う番方、事務を行う役方、
役職のない無役の3つがありました。
番方は、江戸城や城門の警備を担う下級武士で、1日勤務すると2〜3日お休みになる「三日勤め」
が基本でした。そのため、月の出勤は10日前後で収入が低く、非番(お休み)の日には内職をして
生活費を補っていました。
役方は、書類作成や財政の確認などを行う事務職で、会議や儀式のある日だけ登城し、それ以外は
屋敷の書斎で仕事をする、いわゆるリモートワークのような働き方でした。
無役は、江戸時代の武士のなかで最も人数が多かったといわれています。武士の人口に対して圧倒的に
ポストが少なかったため、上級下級問わず生涯一度も公務につけないこともありました。
こうした役職ごとの働き方によって、夏の過ごし方も違っていました。
登城日の武士たちは、城から屋敷に戻るとようやく堅苦しい正装から解放され、涼しげな着流しに
着替えました。庶民のように川沿いへ出かけるのではなく、屋敷内で静かな夕涼みを楽しむのが
一般的で、武家屋敷には大きな池や木々のある庭があり、池を渡る風を取り入れながら、縁台で団扇を
手に過ごしたり、時には家族と月見を楽しむこともありました。
上級武士たちは広い屋敷と庭園でゆったりとプライベートな涼を楽しむ余裕がありましたが、
番方や無役の武士たちは庶民に近い暮らしぶりで、朝顔の品種改良や虫籠作りなど夏ならではの内職に
励んでいました。その姿を町人に見られることは恥とされていたため、昼間は屋敷の奥でひっそり作業し、
夜や早朝にこっそり納品するなどの苦労があったといいます。
ボストン美術館所蔵 喜斎立祥(二代目歌川広重)作 「三十六花撰 東都 入谷朝顔」
https://collections.mfa.org/objects/517986
|夏の食
武士たちの夏の食べ物にも、庶民とは違った特徴がありました。将軍家や大名家などの上級武士の屋敷では、
冬に氷室に蓄えた氷を夏に取り寄せて、冷たいお菓子や果物を楽しむなど、身分の高い者だけが許された
特別な贅沢がありました。
その一方で、健康への配慮から白湯や薬湯を飲む習慣もありました。暑さによる体調不良で仕事を休むことは
武士の面目にも関わったため、冷たいものの摂りすぎを避け、温かい麦飯や栄養豊富な豆腐を食べて、
夏バテを防いでいたといいます。
|最後に
いかがでしたか。
小氷河期だった江戸時代の7~8月の平均気温は25℃前後で、30℃を超える日はほとんどなく、今よりもずっと
過ごしやすかったようです。それでもエアコンや冷蔵庫のなかった時代に、工夫しながら涼を取り入れて
夏を楽しんでいた江戸の人々の姿には、現代の私たちが学べる知恵があるように思います。
小唄「涼み舟」が描く川風や夕涼みの情景は、そんな江戸の夏の感性と遊び心を伝えてくれる一曲なのかも
しれません。
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